ナムジャイブログ
| ナムジャイブログを無料で作る!
| ヘルプ

2012年03月25日

僕がフリーライターになるまでvol.6

最終選考の会場に指定された居酒屋に約束の時間よりも早く着いた。

が、場所は居酒屋とはいえ、面接には変わりない。他の候補者はすでに席に着いていた。

ちなみに最終選考に残ったのは僕を含めて5人。うち3人が女性だ。

いずれも約200名の応募者から残っただけのことはあり、みんな見るからに優秀そうだ。

席には編集プロダクションのスタッフMさんもいたが、代表のKさんはまだ事務所で作業をしているらしく、店にはいなかった。

当然、みんな待っているわけだが緊張ゆえか全員言葉をほとんど交わすこともなく、重たい空気が流れていた。

そんな状況の中、10分ほど待っただろうか、ようやくKさんが居酒屋にやって来た。

もちろん、「じゃあ、これから最終選考を行います」なんてことは言わない。

早速、飲み物を注文し、とりあえず乾杯。

1杯目なんでビールを頼んだが、ハッキリ言ってお酒はあまり飲めない。

ぶっちゃけ下戸だし、ビールは正直好きじゃない。

しかし、最初の面接で「君はお酒イケるほうなの?」と聞かれ、「ハイ、がんがんイケます!」と大ボラを炸裂させてしまった。

その手前、口が裂けても「あっ、僕はウーロン茶で」なんてことは言えない。

気合いで1杯目を飲み干したが問題はここから。

僕はビールが苦手のため、レモンサワーを注文。

もしアルコールが濃かったどうしようかと不安になったが、奇跡的に薄かった。

緊張していたこともあったが、おかげであまり酔わずにKさんとも話をすることができた。

ただ、居酒屋面接を一緒に受けた他の人は話の内容といい、インテリジェンスな人ばかり。

いずれも有名大学の出身者で、僕の隣に座っていたOはなんとヨーロッパ帰り。

卒業こそしていなかったが、誰もがしっている超名門大学に通っていたとか。

男は僕以外には彼しか残っていなかったので、内心では「すげぇーっ! 教養もあるし、さりげない気配りもできている。彼は採用されるかも」と勝手に思い込んでた。

事実、このカンは当たっていた。

このOとは編プロ時代、そしてお互いフリーになってからもたびたびコンビを組んで仕事をするようになる。

大切な相方であり、かけがいのない親友でもある。

けど、この時点では当然そんなことは想像にもしていなかった。

だって採用されないと思っていたから。

別にヘマをしたつもりもなければ、酔っ払って醜態を見せたわけでもない。

下戸だったことはなんとかバレなかったと思う(この時点では……だけど)。

つまり、他の人たちがそれだけ優秀だったのだ。

「隣の芝が青く見える」ということわざがあるが、このときは見えるのではなく、実際に青かった。

競馬に例えるなら自分は大穴。

その一方で、採用は2人と聞いていたので「確率だけで言えば、40%か……」という期待もあった。


結果はその日のうちに電話で届いた。

なんと僕が採用されたのだ。

うれしさのあまり、友達に電話をかけまくってしまった(苦笑)。

今思い出すと結構恥ずかしいが、それほど嬉しかったし、さすがに将来に不安も感じていたので正直ホッとした。

就職せずにフラフラしている息子を心配していた両親もすごく喜んでくれた。

高校は中退し、大学でも留年。

ずっと苦労と迷惑をかけ続けていたから両親が喜んでくれて、僕も本当に嬉しかった。

ただ、同時に「何が何でも途中で投げ出すことはできない」と改めて心に誓った。

まだ、どんな職場なのか、そしてどんな仕事をするのかはよく知らなかったけど。



いずれにせよ大学を卒業して約2ヶ月半、僕はついにライターとして歩み始めた。  

2011年03月09日

僕がフリーライターになるまでvol.5

いよいよ運命の面接当日。

その編集プロダクションは都内でもオシャレなエリアとして知られる青山にあった。

「ヤバイ……、まさか見た目で落とされたらどうしよう……」

実は、事前に「当日は私服で結構なので」と言われており、無難にジャゲットをはおって来たものの洗練されたファッションの人が多い青山の雰囲気に圧倒されていた。

正直、これから面接を受ける編プロがどんな雑誌や本を手掛けているのか、なんて情報はこの時点では一切知らない。

(ファッション誌をやっている編プロだったら完全アウトだな……。でも、青山に会社があるし、その可能性大かも)

会社のインターホンを押したとき、すでに僕は半ば諦めモードだった。

しかし、面接官でもある編プロ代表、Kさんは失礼な言い方かもしれないが、間違ってもファッション誌を手掛けているような人には見えなかった。

とりあえず、門前払いって感じにはならなそうだと思い、一瞬ホッとしたが問題はここから。

書類選考の際に送った履歴書を眺めながら、「高校中退ってあるけど、何で辞めたの?」とKさんは僕に尋ねてくる。

「やっぱり来たか」

これまでバイトを含め、履歴書に中退と書くと面接ではよくそのことを聞かれていた。

大学時代はカチンときたこともあったが、慣れたのかいちいち腹を立てることもなくなった。

とりあえず、高校を辞めた理由、それから北海道の高校に編入し、そこでの普通とはちょっと違う学校生活などを面白ろおかしく話してみた。

とはいえ脚色したわけではなく、結構ありのまま話したつもりだ。

ただ、後に連ドラや映画にもなるような学校だったので、日頃からネタとしても使えるような話だった。

後はパチンコやスロットの話、お酒のこととか編プロの業務に関係ないような話ばかり。

全体的にはそれまで行ったどの面接よりも話は盛り上がった。

が、それだけに「一体どんな基準で選考するんだろう?」と思ったものだ。


結果は数日後、電話で知らされた。

「最終面接を行うので、○日○時に会社の下にあった居酒屋に来てください」とのこと。

えっ、居酒屋で面接???

最終選考まで残ったのはうれしかったが、それ以上に僕の頭の中はクエスチョンマークが広がっていた。


―つづく―  

2010年11月03日

僕がフリーライターになるまでvol.4

大学の卒業式から約半月後、僕は札幌のアパートを引き払い、埼玉の実家へと戻った。

就職活動はしていなかったので当然仕事も何も決まっていない。

さすがに親と再び同居することになった以上、大学を出て無職の状態が続くとマズい。

職探しはすぐに始めたが、応募したのは出版社や編集プロダクションばかり。

ライターになるためのチャンスさえ掴めれば、契約社員やアルバイトでも構わなかった。


実際、札幌なんかより求人の数は多く、1ヶ月半ほどの間に約20社に書類を応募。

そのうち5社の面接を受けた。

だが、いずれも不採用の通知だった。

それもそのはずだ。

マスコミ系は今も当時も人気が高く、アルバイトの募集でも求人を出せば山のような応募が来る業界。

このとき僕は初めてマスコミ系の職に就くことがいかに大変かを知った。

もちろん、出版社や新聞社に新卒採用の正社員として入ることに比べれば、よっぽど楽には違いない。

しかし、たかが1ヶ月半の就職活動で、さすがに「ちょっと甘すぎたのかも……」と思っていたのも事実だ。


そのため、いっそのこっと海外ボランティアにも行ってしまおうかと思い、青年海外協力隊の説明会に行ったりもした。

まあ、そんな甘ったれた奴に務まるはずはないってことは今なら分かるのだが。


ただ、そんな先に対する不安にさいなまれ始めた僕のもとに運命を変える1本の電話が入る。

電話の主は、後に僕がお世話になる編集プロダクション。

「○日の○時に来てください」という面接の日時を告げる連絡だった。  

2010年11月01日

僕がフリーライターになるまでvol.3

旅から戻ると、日本はすでに冬になっていた。

当時、僕が住んでいた札幌の街は一面の銀世界。

大学卒業まで残り3ヶ月半と迫っていた。


すでに大学5年目だったため、これ以上大学に残るわけにもいかない。

かといって就職活動をしているわけでもない。

旅先でライターという職業に初めて興味を持ったはいいが、どのようにしてその仕事に就くのかは知らなかった。

ただ、札幌みたいな地方都市でも地元のタウン誌などが「編集アシスタント募集」といった求人を出していることが何度かあり、応募はしていた。

しかし、どれも書類選考で落とさ、一度も面接すら受けさせてもらえなかった。


そうこうしているうちに気がつくと3月。

単位はなんとか全部取り、後は卒業するだけだったが僕の進路はまだ決まっていなかった。

本当は札幌に残ってライターや編集の仕事ができれば、なんて思っていたが現実はそんなに甘くない。

僕にとって居心地がよく、愛着のある街だったが残ることは許されなかった。

約3年付き合っていた彼女とは旅から戻った直後に別れており、もはやこの街に残る理由もなかった。

「そろそろ潮時なのかもしれない」

とりあえず、実家のある埼玉に戻ろう。


そう決めたのは卒業のわずか1週間前。

僕がライターとしての第一歩を踏み出す約2ヶ月半前のことだった。  

2010年09月05日

僕がフリーライターになるまでvol.2

旅が人生を変える。

なんか旅行会社や航空会社の陳腐なコピーみたいだけど、本当のことだから仕方がない。

僕が旅に出たのは大学最後の年。

教員採用試験に見事落ちてしまい、就職活動する気もなかった僕はかねてから計画していた「アジア放浪の旅」に出かけた。

初めての海外だったが手配したのはバンコク行きの往復航空券のみ。

貧乏旅行だったので高級ホテルなどにはもちろん泊まるわけもなく、旅の間ずっと利用していたのはゲストハウスと呼ばれる安宿。

しかも、宿の中でも最も安いドミトリー(ベッドが並ぶ大部屋)ばかり選んでいた。

もちろん、節約したかったというのもあるけど、本当の目的はバックパッカー同士の交流。

どの宿でも自然と言葉を交わし、ほぼ毎日のように誰かと近所の屋台や食堂にご飯を食べに行ったり、飲みに行ったりしていた。

彼らからはそれまでの旅のエピソードを聞いたり、世の中のこと、将来のことなどいろんな話を聞いた。

当時の僕と同じ学生だった人もいれば、会社を辞めて旅をしている人、フリーターや期間労働者などで貯めたお金持っては旅に出るという生活を繰り返している人もいる。

実にさまざまな旅人がいた。

また、その中にはフリーランスのカメラマンやジャーナリストと称する人たちもいた。

しかし、その多くは昼間からマリファナを吸うか酒を飲むかのどちらかだったし、宿に泊まっていた他の連中からチヤホヤされて偉そうに語っているなどあまりいい印象はない。

けど、「フリーランスの仕事をしていれば好きなときに旅に出れる」という言葉は妙に頭に残っていた。

すでに旅の非日常的な生活にどっぷりハマッていた僕は「フリーランスかぁ。それも悪くないなぁ」と思ってしまったのだ。

それもカメラマンは写真への興味がそんなになかったため、消去法で「じゃあ、ライターだな」という程度のもの。

人にはライターという道を選んだことについて、「自分が一番やりたいことをやろうと思った」や「旅先で自分を見つめなし、将来について考えた末に決めたこと」などと言っていたが、本当はこんな安易な理由だったのだ。

とはいえ、この時点では「なりたい」ではなく「それもアリだな」という程度。

正直、自分が本当にライターになるとは想像していなかった。

―つづく―  

2010年09月01日

僕がフリーライターになるまでvol.1

以前からネタ探しを兼ねて「Yahoo! 知恵袋」というサイトをよくチェックしている。

いろんな人がそこに質問を書きこみ、同じくいろんな人がアドバイスや意見を書き込むのだがマスコミ業界志望者の若者からの質問をよく目にする。

なかでも特に多いのが「どの大学、どの学部が就職に有利でしょうか?」といった質問。

それに対するアドバイスとして最も多いのが「一流大学ほど有利です」などコメント。

まあ、新聞社や出版社、放送局の就職採用実績を考えれば、その通りと言わざるを得ない。

でも、マスコミ業界でも「フリーライターになりたい!」ということであれば、「一流大学ほど有利です」とは必ずしも言えない。

なにより、この僕も大卒とはいえ、決して一流とは言えない地方の私立大学の出身だからだ。

ずいぶんと前フリが長くなってしまったが自分がメディアの世界に潜り込み、フリーのライターとして活動を始め、現在に至るまでのことを書いてみようと思う。

まあ、そんなに偉そうなことは言えないし、振り返るほど立派な身分でもないんだけど(笑)。


  ―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―

僕が大学を卒業したのは1999年の3月。

高校時代、中退→転編入をしたために卒業まで4年もかかってしまい、大学も1年留年していたので卒業したとき、すでに24歳になっていた。

ちなみに当時は就職氷河期のど真ん中。

しかも、農業漁業と観光以外にたいした産業のない北海道では十分な雇用が望めるわけもなく、僕も就職先は決まっていなかった。

というより、ハナから就職活動を行っていなかった。

正直、就職セミナーに行ったのも興味本位で参加した1回のみ。

就活学生のユニホームであるリクルートスーツさえ持ってない有様だった。

もともと教職志望だったこともあり、一般企業への就職はほとんど考えていなかったのだ。

そのため、リクルートスーツで毎日就活に励んでいる他の学生たちを「みんな、大変だなぁ」とまるで他人事のように思う始末。

教員採用試験にも落ちてしまい、そんな状況にもかかわらずアジアへ放浪旅行に出かけるダメ学生の典型だった。

けど、この旅が僕の人生を変えることになったのだ。

―つづく―

  

2010年08月31日

東京の暑さは卑怯だ!!

「いやぁ、今日“も”暑いですね」

思えばこの2ヶ月、人に会うとお約束のようにこのセリフを吐いている。

しかも、言っている当の本人は顔からそれこそ滝のように汗をダラダラ流しており、暑さを顔じゅうで体現しているのだ。

でも、熱帯の国ではそんことを言わないし、言われたこともない。

タイのバンコクには仕事やプライベート、トランジットやらで訪れる機会が多く、現地に住んでいる日本人の知人とよく食事に行ったりするが、誰もそんなことは言ってこない。

だって暑いのが当たり前だから。

暑いかクソ暑いかの違いはあるにせよ、暑いことには変わりない。

自分たちも「暑くて当然」と身構えており、それなりの覚悟もできている。

けど、東京は夏は確かに尋常じゃない暑さだが春や秋は毎年やって来るし、冬には雪が降るほど冷え込む日だってある。

それなのにこんなに暑いのは卑怯だ。

「いやぁ、今日“も”暑いですね」

今年はあと何度、このセリフを言うのだろうか?  

Posted by T-factory at 21:08Comments(0)TrackBack(0)雑記

2010年08月30日

ごあいさつ

気まぐれでブログを作ってしまった。

実は、以前は書いていたが2年ほど前、更新するのを辞めてしまった。

だから、それ以来ということになる。

しかし、世はツイッター全盛だ。

まあ、アレはアレで使い勝手がいいけど、個人的にはやっぱりブログのほうがしっくりする。

ちょっと長めのコラム的なものを書きたいときはこっちのほうが便利だ。

これも自分がライターをしているせいかもしれない。

更新は不定期になると思うけど、気が向いたら雑文なんぞをアップしますので読んでいただければ幸いです。

ではでは  

Posted by T-factory at 19:19Comments(0)TrackBack(0)雑記